『太平洋作戦』(1951)
『太平洋作戦』(1951)FLYING LEATHERNECKS
【アメリカ・99分】
- 出版社/メーカー: ファーストトレーディング
- 発売日: 2006/12/14
- メディア: DVD
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出演:ジョン・ウェイン、ロバート・ライアン、ドン・テイラー
戦争映画の傑作とまで言われながらも、その一方で見る価値がない、とまでバッシングを受けている本作。
もちろん、本作のシークェンスの大半はドキュメンタリーフィルムの転用である。演出を介さない現実の映像が、
単純に、ある種スペクタクル的に羅列されたかのように見えるが、しかし、本作からその作家性を読み取ることもできるはずだ。
私には、少なからず、スピルバーグ『プライベート・ライアン』への影響を感じられた。理不尽な命令に従わざるを得ない部下たちは、一見冷淡にその指揮をとる上司に不満を感じている。この明らかな共通点と、その上司の秘めたる感情を映し出す手紙、その他、もっと注意深く見てみれば両者の類似性は浮き彫りになるだろう。(それにスピルバーグ自身が言及してなかったっけ?出演者の名前が“ロバート・ライアン”だ、とかいう指摘もあったような??)
本作は非常に未消化のまま終幕してしまう。この点が、この映画を「見る価値がない」と切り捨てることを許さない。一見、ジョン・ウエインとロバート・ライアンの2人の絆が深まり、両者ともに自分の希望する場所(一方は昇進、そして一方は家族である)を手にすることによって、物語として完結しているかのように思える。しかし、部下の理不尽な死に対するその他の兵士たちの不満は受け取り手を得られないまま放置されている。そして、その際のヒーローの腕には真っ白なギブスがはめられているのだ。クライマックスの場にふさわしいとは思えないこの「皮肉」は、この映画の現実性と虚構性との擦れ合いを、暗示的に示していないだろうか。そしてそれは、我々に感情的な何かを訴えては来ないだろうか。
映画は観客にその解釈を委ねている。戦争映画は特に、その解釈によって批判を招きかねない。本作も、兵士のキャラクターがあまりに平面的であるなどといった、事実関係・歴史的背景に注視した指摘もなされている。映画そのものが「虚構」であるという事実がそこには関わってくる。経験不可能な出来事を、視覚的・聴覚的再現によって経験させる映画の、その影響力は計り知れない。だからこそ、プロパガンダ映画という類のものが量産されてきたわけであるが(今現在も、それは形を変えて行われている)、その同じ力を使って、「反戦」というメッセージを訴えることの必要性を、私は強く主張したい。
『けだもの組合』(1930)
マルクス兄弟DVDBOX
- 作者: マルクス兄弟
- 出版社/メーカー: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
- 発売日: 2003/10/24
- メディア: DVD
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『けだもの組合』(1930)
ANIMAL CRACKERS
【アメリカ・97分】
監督: ヴィクター・ヒアマン
脚本: ピエール・コリングス
脚色: モリー・リスキンド
撮影: ピエール・コリングス
『御冗談でショ』(1932)
HORSE FEATHERS
【アメリカ・67分】
監督: ノーマン・Z・マクロード
脚本: バート・カルマー、ハリー・ルビー、S・J・ペレルマン
撮影: レイ・ジューン
『我輩はカモである』(1933)
DUCK SOUP
【アメリカ・69分】
監督: レオ・マッケリー
脚本: バート・カルマー、ハリー・ルビー
撮影: H・シャープ
出演: グルーチョ・マルクス、チコ・マルクス、ハーポ・マルクス、ゼッポ・マルクス
チコのピアノ、ハーポのハープ、グルーチョの気の利いた冗談にはさまれる独白あるいは観客への呼びかけ、そしてミュージカル的な演出、限定されたシチュエーション内部の人間が身体を大いに用いて演じる演技すらも、まるで舞台で演じられる演劇のようである。ここでは、スタジオ内に用意された巨大セットの手前に設置され、客席にいる観客の視線を特権的に代理してみせるカメラが、フレームによってステージを切り分けるのである。
しかし、それは時に、「観客の視線の代理」を超越し、我々を騙しさえもする。それは、カードゲームをしていたハーポが、アクションマッチによってなめらかに繋げられた続くショット内にて、隣の女性のハイヒールに履き替えている、そして女性のセリフ「私の靴がないわ!」において露わになる。そこで、明らかにカメラは一度停止し、設置場所を変え、役者は靴を履き替え、同じ演技を繰り返したのだ。これは、非常に奇妙な対立である。そしてそれが、コメディにおいて用いられたことが、非常に意味深なような気がする。
『パーフェクト・ワールド』(1993)
『パーフェクト・ワールド』(1993)
A PERFECT WORLD
【アメリカ・138分】
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2009/11/18
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監督: クリント・イーストウッド
脚本: ジョン・リー・ハンコック
撮影: ジャック・N・グリーン
出演: ケヴィン・コスナー、クリント・イーストウッド、T・J・ローサー
どこかのねじが一本抜け続けているような、しかし文字通り「完璧」な、傑作である。
理不尽なはずの二人の逃走劇は、『続・激突!/カージャック』(スティーヴン・スピルバーグ)のごとく、いつまでも見続けていたいという気持ちをかきたてる。おそらく、彼らの持つ非現実的なほどの純粋無垢さが途切れぬことを、我々は静かに祈らずにはいられないのだろう。
ケヴィン・コスナー演じる脱獄囚の主人公・ブッチは、突拍子も無く8歳の少年・フィリップに銃を握らせ、(突如として彼を)誘拐する。
今にもレイプされそうな母を救い、自分に暴力を振るった男をたたきのめしたブッチに、父親を知らないフィリップはどこか親しみを覚える。
そして、フィリップを選んだブッチもまた、少年にかつての自分の姿を投影する。
彼らは互いを、自身の欲望を実現してくれるべき対象として見つめている。
フィリップは、ブッチが自分の抑圧された世界を押し広げてくれる強靭な「父親像」たりうることを、
ブッチは、フィリップの目に自分自身が、自分を抑圧してきた「父親像」として映らぬことを、願っているのだ。それがたとえ無意識的なものだとしても(過去の自分を救済しようとするかのように)。
そして、彼らの沈黙の欲望に応えるように、周囲の人物は2人を「親子」だと認識する。「似たものコンビだ」と。
ところが、ブッチの「投影」が、その純粋無垢さに従うあまりに、我々の沈黙の祈りを逸脱する行動を呼び起こしてしまうとき、フィリップは自ら銃を握る。そしてその姿は、まさに少年時代のブッチの姿に重ね合わされるのだ。
「投影」が現実の「一致」を呼び覚ますとき、2人はついに、本当の親子以上の愛情に辿り着く。そして、ブッチは、自分の旅のつづきをフィリップに託し、かつての自分の姿(ゴースト)の仮面を脱ぎ去った、血の繋りのない少年が去っていくのを、静かに見守り続けるのである。
ていうか、この作品は批評でとやかく言ってしまうよりも、見て感動するべき映画だ。
『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002)
『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002)
【フランス/カナダ/イギリス・98分】
- 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
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出演: レイフ・ファインズ、ミランダ・リチャードソン
本作は、正体不明の男が、パズルを並べるように記憶の断片を紡ぎだすと同時に映画そのものが進行していく、という形をとる。しかしその「回想」は幾分巧妙で、接ぎ目を隠したままひとつなぎに導入されるのだ。この点が、この映画の1つのミソだろう。
現在の住人である男は、過去のシーンに引き返し、自らの記憶に侵入しながら、自分自身へ、(あるいは母親へ)感情移入してみせる。「不在」という透明な身体を持った彼は特権的に、かつては知りえなかった記憶と出会い、「真実」を暴こうと試みる。
ところが、記憶の中に「実在」する自分自身が、自らの知りえなかったはずの記憶と出会うとき、物語の進行にズレが生じ始める。
映画の終わり、物語の語り手であり、回想の主体であったはずの男その人の精神が交錯しており、それゆえに、それまで観客が目にしてきたものは全て男の幻想であったのだ、という真実が暴露される。そして文字通り語り手を失った映画は、主人公の退場と共に静かに幕を閉じるのである。
映画における回想シーンというものを、語り手であるはずの人物の視点の限界を悠々と超えてしまうことで、観客の幻想的感覚を生じさせる装置であるとするならば、本作の技法はまさにその「幻想」を巧妙に利用したものであり、それ自体が物語に絡み合い、さらに、物語の終結とともにその技法も消滅してしまうという点で、映画としての一貫性を持っており、非常に明快であると言ってもよいだろう。
しかし、その装置が暴露されてしまった瞬間にサスペンス的快楽すらも消滅してしまうというのは、なんだか物足りない。
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)においても、主人公の正体が暴露されてしまうと同時に物語の進行も足踏み気味になってしまい、それまでの軽快なテンポを乱してしまっていたように思われる。
その点がクローネンバーグの悪い点であるとも言えそうだが、私は大好きなので、上映時間の短さと相俟って、そのシンプルさこそが、彼の魅力であるに違いない。
『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)
『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)
MILLION DOLLAR BABY
【アメリカ・133分】
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2005/10/28
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監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン
トレーナーをどかせてまで自ら止血をしてしまう頑固な老イーストウッドは、ヒラリー・スワンクの出現によってことごとくその「意志」を打ち砕かれる。
『アイズ ワイド シャット』(1999)EYES WIDE SHUT
【アメリカ・159分】
監督:スタンリー・キューブリック
出演:トム・クルーズ、ニコール・キッドマン
原作:アルトゥール・シュニッツラー
ニコール・キッドマンはキスを拒み、トム・クルーズは拒まない。
口をとじることで罪にはなりえない「真実」を共有し、「ファック」で目をとじるのだった。
『サボタージュ』<未>(1936)SABOTAGE
【イギリス・76分】
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:シルヴィア・シドニー、オスカー・ホモルカ
原作:ジョセフ・コンラッド『密偵』
シルヴィア・シドニーの自供を許さないは、同じ罪を被ることによって、彼女を手に入れることができる。
映画は「深読みは辞めよう」「忘れてしまった」というセリフで終幕する。
その後の2人に想像力をかきたてる役目は、スクリーンの外の観客に託されている。