『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002)

スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002)

【フランス/カナダ/イギリス・98分】

スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする [DVD]

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監督: デヴィッド・クローネンバーグ
出演: レイフ・ファインズミランダ・リチャードソン

本作は、正体不明の男が、パズルを並べるように記憶の断片を紡ぎだすと同時に映画そのものが進行していく、という形をとる。しかしその「回想」は幾分巧妙で、接ぎ目を隠したままひとつなぎに導入されるのだ。この点が、この映画の1つのミソだろう。

現在の住人である男は、過去のシーンに引き返し、自らの記憶に侵入しながら、自分自身へ、(あるいは母親へ)感情移入してみせる。「不在」という透明な身体を持った彼は特権的に、かつては知りえなかった記憶と出会い、「真実」を暴こうと試みる。

ところが、記憶の中に「実在」する自分自身が、自らの知りえなかったはずの記憶と出会うとき、物語の進行にズレが生じ始める。

映画の終わり、物語の語り手であり、回想の主体であったはずの男その人の精神が交錯しており、それゆえに、それまで観客が目にしてきたものは全て男の幻想であったのだ、という真実が暴露される。そして文字通り語り手を失った映画は、主人公の退場と共に静かに幕を閉じるのである。

映画における回想シーンというものを、語り手であるはずの人物の視点の限界を悠々と超えてしまうことで、観客の幻想的感覚を生じさせる装置であるとするならば、本作の技法はまさにその「幻想」を巧妙に利用したものであり、それ自体が物語に絡み合い、さらに、物語の終結とともにその技法も消滅してしまうという点で、映画としての一貫性を持っており、非常に明快であると言ってもよいだろう。
しかし、その装置が暴露されてしまった瞬間にサスペンス的快楽すらも消滅してしまうというのは、なんだか物足りない。
ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)においても、主人公の正体が暴露されてしまうと同時に物語の進行も足踏み気味になってしまい、それまでの軽快なテンポを乱してしまっていたように思われる。
その点がクローネンバーグの悪い点であるとも言えそうだが、私は大好きなので、上映時間の短さと相俟って、そのシンプルさこそが、彼の魅力であるに違いない。