『TOO LATE BLUES』(1962)

(邦題『よみがえるブルース』)      
アメリカ・101分】
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:ジョン・カサヴェテス / リチャード・カー
製作:ジョン・カサヴェテス
撮影:ライオネル・リンドン
配給:パラマウント映画
出演:ボビー・ダーリン/ステラ・スティーヴンス/
エヴェレット・チェンバース/ヴァル・アヴェリー/
シーモア・カッセル ほか

ジョン・カサヴェテス監督第2作目。日本では劇場未公開。

≪ストーリー≫
ジャズ・ピアニストであり、アマチュアバンドのリーダー・ゴーストは、老人ホームや芝生での慈善演奏という金にならない仕事ばかりしてきた。それでもゴーストは自分の音楽にプライドをもち、生活に不満を抱いてはいなかった。そんなある日、彼はパーティーで素人歌手のジェスと出会う。彼女は自身の歌の才能に不安を感じていた。
バンドにオーディションの話が舞い込み、ゴーストはジェスをヴォーカルに据えることを決める。オーディションで好反応を得、未来の見え始めたバンドメンバーらは喜びとともにバーでささやかな祝杯をあげる。しかし、それを横目でみていた2人組の男が泥酔しジェスに絡んでくる。彼女を守ろうとするゴーストだが、殴られるとその場にうずくまり動けなくなってしまう。バンドメンバーに救われその場はおさまるが、情けなくなったゴーストは脅えるジェスに冷たい言葉を浴びせ、メンバーのチャーリーに彼女を送らせる。傷ついたジェスはヤケになり、チャーリーを誘惑する。翌日、レコーディングにジェスの姿はなかった。自暴自棄になったゴーストはメンバーと仲違いし、レコーディングを中止にしてしまう。
数年後、ひとりになったゴーストは金持ちの伯爵夫人のヒモとして生活している。プライドを棄て、金儲けのためだけの演奏家になり下がったのだ。しかしそんな生活に嫌気が差した彼は、夫人のもとから去り、昔なじみのバーでメンバーの居所を聞き出す。チャーリーと再会し、ジェスが娼婦になっていると知り、彼女のもとへむかう。店で客の相手をしているジェスの姿をみたゴーストは怒り、客を殴り追い払う。心乱れたジェスはその場で自殺をはかろうとするが、ゴーストに止められ、無理やりパーティーに連れて行かれる。そのパーティーではかつてのメンバーが舞台で演奏していた。嫌がるジェスを抑え、ゴーストはメンバーらに詫びるが、彼らは許さない。そのときジェスがかつてレコーディングしようとした曲を歌い始める。しだいにメンバーもその歌に合わせてひとり、またひとりと演奏をはじめる。




≪感想≫
カサヴェテスの『こわれゆく女』を初めてみたとき、それまで自分がみてきた映画は果たして映画だったのか?というほどの衝撃を受けた。しかし『トゥー・レイト・ブルース』を観たときはそれほどの感動はなかった。他のカサヴェテス作品にみられるような不快な生生しさを感じなかったからだ。例えば俳優たちがカメラの枠に収まっている。カサヴェテス作品では多くの場合、カメラが俳優たちを必死に追いかける。演技者の感情に身をゆだね、彼らの即興的な動きを追うカメラの即興性が奇跡のような映像をうみだす。その奇跡を体験してしまうとその感動を渇望せずにはいられなくなる。
カサヴェテス自身、本作には納得がいかなかったと語っている。「もっと上手く撮れたはずだ」と。本作は、『アメリカの影』で評価を得たカサヴェテスがハリウッドの映画会社と契約し、資金を得て作られたものだ。低予算ならば自由に撮らせて貰えると期待したカサヴェテスは、金儲けにしか興味のない会社の中で、限られた撮影期間、そして作品に全く理解のないスタッフと仕事をしなければならない、という“現実”をつきつけられる。カサヴェテスは、『アメリカの影』が撮れたのは“自分たちに完全な自由があったからだった”と語っている。『トゥー・レイト・ブルース』では、その自由は奪われていた。
ここで本作のストーリーに立ち返ってみると、決して収入は良くないながらも自由な演奏のできていた主人公が、仲間を失い、商業主義に走って満たされない演奏をさせられ苦しむ、というのはカサヴェテスの内面の葛藤そのものである。当時、『アメリカの影』で破産した彼は収入のためにテレビ出演し、その芸術性の欠如やスポンサーとの仲違いを経験していたのだ。
ここまで書いて、この作品が単なる監督の自伝的映画であると言いたいわけではない。
「人間の感情や考えを照らして、それを明らかにするのが映画の役割だ」と彼が語るように、他の作品と同じく、本作も主人公の社会的側面より内面に焦点が当てられている。他の作品とは異色ながらも、静止した肉体から浮かび上がり見えてくる感情や、繰り返しはさまれる表情のクロースアップ、そして人物をみつめる第三者の視線が、やはり映画に独特の緊張感をあたえ、その演出力を感じる。
『トゥー・レイト・ブルース』は、結果、興行的に失敗した。しかし、彼はこの映画を通して多くを学んだ。個人的な映画を撮るためにはメジャーな映画会社では難しいということ。そして、自身の理想とする“芸術映画”の監督の姿である。彼の理想とする“芸術映画”はヨーロッパなどで作られた多くのもの、つまり、人間の間違いや弱さを描いたものとは違う。彼は本作で、屈することなく頑張る人々の人間性を描いた。このことは“普通の人々が感情の真実への信頼を回復して人生をより豊かに過ごせるような、肯定的で希望に満ちた「有益な」映画を作りたい”という彼の思いを物語っている。