『EXILED/絆』(2006)

シネマート心斎橋にて。

『EXILED/絆』(2006) ※日本では2008年末から公開中
監督:ジョニー・トー
出演:アンソニー・ウォンフランシス・ンほか

これだけ時間のながれを丁寧に、しかも堂々と練りこんだ映画は最近珍しいような気がする。女がドアを開ける2人の男がいる、「ウーはいるか?」女が応える「誰よそれ」「いないわ」、この反復によって2種類の2人組の関係性を簡潔に描き出し、ウーが現れてからの5人の関係性を美的なアクションを交えて描き出す。冒頭から展開のねちっこさを見せられたにもかかわらずそれがラストまで続くので、展開の早い映画に慣れてしまった観客は飽きてしまうかもしれないが、ユーモアとアクションによって注意をそらさないサービスもきちんと行っている。そして、かなり意識的に任侠アクション映画というジャンルの古めかしいやり口を踏襲しまくっているからには、どこかでその踏襲を逸脱してやろうという若々しさを見たい、と期待してみたのだが、特にそういった危なっかしいことはしないまま、現代に不似合いな形式を堂々とやってのけたように思う。そういった意味で「優等生」の映画という言い方もできるかもしれない。


上記の「古めかしい」という言葉がどこまで的を得ているのかについては恐る恐るなのだが、人物らの誰もが「かっこ悪い」ことを美徳として捉えている点は今の日本の風潮に合っているのかもしれない。(客席の多くが心地よく笑っていたし。)冒頭シーンの一連のアクションによって「カッコイイ」印象を作り上げた後、(今どきこんな映画をくそまじめに作っている作者の自己言及ともとれるように、)彼らの「ダサさ」は露呈していく。「俺たちはプロだぜ」と高報酬の殺しに手を出した5人は、彼らよりはるかに大きな組織の親玉にまんまと見破られ、しかもリーダーのウーが深手を負った状態でこそこそと逃げ出した挙句、車はガス欠で走らず、盗んだ車は防犯ベルを鳴らしまくる。ウーの治療のため闇医者のもとに出向き、買春した直後の医者に真っ先に値段交渉され、値切った挙句に全額払うことさえできない彼らの情けなさは、同じようにケガをして運ばれた組織の親玉が値段交渉を軽々とはらいのけてしまうことによって強調される。治療中に襲撃を受けたウーを救う手段ですら、なんとも情けない。仲間内という小さな集団の中だけで「プロ」と自称できていた5人は、大きな組織を前にして無力でしかない。途端に、彼らはプロである前に5人の男たちなのだと、哀愁があふれだす。そうして、ウーを失った4人は、それぞれにサングラスで自分たちの情けない素顔を隠しながら、行く当てもなくただコインが指し示す方角へと放浪する。そんな彼らの目の前に、かつて取り止めた“金塊運搬トラックの襲撃”という新たな「目的」が現れる。目を輝かしたのもつかの間、運まかせに進んできた彼らには最早その気力は無い。ところが運よく目の前でトラックを襲撃したグループに横槍を入れる形で金塊を手に入れた彼らは、そのリーダー格の男を仲間に引き入れ、「5人」というかりそめの姿を取り戻す。金塊を山分けし、将来について語り、自分たちの失態、ウーの死、残されたウーの妻子という悲しみから目をそむけ続ける情けない彼らには、その踏襲されたジャンルゆえに、組織を潰すと同時に死ぬ、というラストによって「カッコよさ」を取り戻す責任が待ち構えている。

『M:I:2』(ジョン・ウー)で長引かせるだけで全く無意味なスローモーションの腹立たしさを痛感していたので、本作に対しても実は恐れを感じていたのだが、“やっぱり”とばかりにラストで見せつけられたスローモーションも「なぜレッドブル!?」という可笑しさを含め邪魔臭くは感じられなかったので、全体通して好印象な映画だった。ただ、ケチをつけるとすれば、観客の意識を繋ぎとめておく為の手段として選んだのだろうが、上映時間の8割以上を占めるほど雰囲気演出の音楽を聴かされ続けたところが唯一不快だった。もちろん大衆ウケをねらう手段としては決して失敗ではないのだが、(個人的に)ねちっこい視覚的演出によって、十分すぎるほど場面ごとの雰囲気を楽しむことができたので、少し邪魔臭く思えた。あと、ユーモア要素を含んだ退職寸前の老刑事の出現によって、映画内の時間をたった3日間と設定してみせたのは、少しやりすぎた感が否めない。おそらくあれだけ執拗に描き続けた「時間の流れ」を強調したかったのだろうが、あまり活かされていないような気がする。

総じて、よい作品であったように思う。かなり完成度は高かったし、久しぶりに純粋な映画の時間が楽しめた。そして出演者の誰しもが日本人の俳優に似ている・・・!劇場での鑑賞をオススメします。